毎週通っているヨガの先生から、「人は一日の間に6万個もの考えごとをする」と聞きました。
考えごとのほとんどが「選ぶ」作業だといいます。
朝は何を着ようかと服を選んだり、出勤したら仕事では頭をフル回転(一応)、夕方には夕飯のおかずを決めて買い物に行っても、こっちの肉の方が安いからメニューを変更しようとか……。
人は悩んで行動を決めていくという作業の繰り返しで、その度に取捨選択を迫られているわけですから頭脳は使いっぱなし、一日の終わりには頭も重く疲れるはずです。
ヨガは精神統一や集中力を要するので、こういった考えごとや邪念を一切頭の中から排除して自分と向き合うことが大切になります。
レッスン中の1時間に頭の中をからっぽにすることは本当に気持ちがいいのですが、完全にからっぽにすることは難しいときもあります。
私の集中力はせいぜい30分くらい。集中力を高める訓練を小さい頃からしていれば……と後悔がよぎるときもしばしば。
子供の頃に、お習字や水泳やピアノをさんざんやらされていたことを考えると親は思うところもあって、いろいろな習い事をさせてくれていたのだと、いまさらながらに思います。
中でも、水泳は鼻に水が入るのがイヤで、隣駅まで通う夏休みの講習は地獄でした。おそらく1時間弱のレッスンだったはずですが、半日くらい水に浸かっているように長く感じられました。帰りにシューアイスを食べることだけを目的に耐え忍んだものです。
集中力が身に付いたかというと、その自覚はなく、鼻の奥の痛みとシューアイスのことだけを思い出します。
息子も幼稚園の頃、3年間ほど水泳教室に通っていました。観覧席から見下ろすことができるプールで、ガラス張りの窓越しに泳いでいるのを見ることができます。たまに手を振ると私に気が付いて、時には小さく手を振ったり、ちょっと微笑み返したりしてきます。この年齢でしか成立しない、珠玉のコミュニケーションが楽しめたわけです。
教室では年に数回の進級テストがあり、合格するとコーチから進級証をいただきます。そのときには毎回、こちらを見上げて嬉しそうな顔をします。不合格だったときも、もちろんありました。
小学校に上がったばかりのときのこと。25メートルを泳げたら、教室をやめていいという約束をしていたので、進退をかけたその時のテストは気合が入っていたようで、泳ぎ切りました。
コーチから証書を手渡されたと同時に、プールサイドを小走りして更衣室の方へ消えて行った姿を今でも忘れられません。笑顔で、清々しく、そして私の方を一度も見上げなかったことに、大きな成長を感じました。
私の仕事は終わったな、とはっきりと感じたのを覚えています。
息子は集中力がついたのでしょうか?
そうでなくとも、あの姿を観ることが出来ただけでも私には意味のある習い事だったと思うのです。
(E)