こんにちは! とことこ湘南編集部Yです。
当ブログ、コナン映画の話が続いていますが、私も映画を観てきましたよ!
・「ゴジラxコング 新たなる帝国」
・「オッペンハイマー」
・「猿の惑星 キングダム」
そんなつもりは無かったんですが、猿の王国の話でオッペンハイマーを挟んでしまいました。
考えてみれば今映画館で同時期に猿の王国の話が2つ、劇場によってはゴジラの映画も2つ観られるというのがちょっとした異常事態ですよね。
モンスター映画の惑星直列が起きていて、次は150年後とかになるのかもしれません。遭遇出来てありがたい限りです。
話を戻して、「ゴジラxコング 新たなる帝国」「オッペンハイマー」「猿の惑星 キングダム」と3作品を並べて「この中で仲間と言えるものを線で繋ぎましょう」という問題を出したら、まあ「ゴジコン」と「猿惑」(さるわく)を繋ぎたくなりますよね。
ですが、私は「猿の惑星 キングダム」を鑑賞中、何度も脳裏に「オッペンハイマー」がよぎったのです。
そして思いました。「猿の惑星 キングダム」と「オッペンハイマー」は同じ映画だと。(暴論中の暴論)
「オッペンハイマー」は核の開発者の物語です。
「猿の惑星」は人間が過度に発展した挙句、自滅に近い形で滅んでしまった後の世界の物語です。
後者はフィクションに過ぎませんが、前者は実在の人物であり、実際に原子爆弾は開発され、2度に渡り日本に投下されました。その後の世界を私たちは生きています。
現時点では、私たちのいる「今」は「オッペンハイマー後」ですが、この後はもしかしたら、徐々に「猿の惑星」に近づいていくのかもしれない。
そうならないために今、必死で提唱されているのが「SDGs」ですが、これが消費のスピードに追い付くのか!? と考えると途方もない気持ちに陥ります。
「猿の惑星」はフィクションに過ぎないと書きましたが、このシリーズは1968年のシリーズ第1作目からずっと、フィクションだからこそ、「人間である事」とどう向き合うべきか? という問題を突き付けてくる存在でした。
元々SFというジャンルがそうした役割を持つもので、同作はとても優れたSFだからです。
「猿の惑星」は最初の1作目はその後4作の続編が作られ、5部作として奇麗に完結しました。
名作はその後リブートの話が持ち上がりがちで、かつ、それにファンが「要らないだろ!」と文句を言うまでがセットですが、2011年のリブート「猿の惑星:創世記」も例に洩れず、そんなに期待はされていなかったように思います。
ただ、蓋を開ければ同作は娯楽映画としても非常に面白いうえに「猿の惑星」の根幹を形成しているテーマもしっかり考えさせられる傑作で、2017年の「猿の惑星: 聖戦記」に至る3部作もまた新たな猿惑として高く評価されました。
そして、今回2024年の「猿の惑星 キングダム」。もちろん「もういいだろ!」と言われまくり、私も全然期待していなかったのですが…
本作もまた、間違いなく「猿の惑星」として素晴らしい作品だったと思います。
世の中的な評価はまだよく知らないのですが…どうなんでしょうか?
「(前略)キングダム」はリブート三部作と地続きかつ、何世代も後の話なので猿(=エイプ)たちは賢く、言語でコミュニケーションを取り、集落ごとに”社会”を作って暮らしています。
しかしその結果、一部の猿たちは「オッペンハイマー」に出てきた人間たちに似てきてしまっていたのです。
オッペンハイマーは作品中、人間たちに火を与え、文明を持つよう導いた神プロメテウスに例えられますが、猿たちもある種の「火」(強大な力)を欲しがるのです。
やっぱり、同じことを描いているんですよ!
どうも続編も作られそうな予感がするのですが、一体、猿たちはどうなってしまうのか。今から楽しみで仕方ありません。
「猿の惑星 キングダム」と「オッペンハイマー」。
両方観ると、互いに影響し合って、両作がより深みを増して観られるかと思いますので、オススメです。
猿の惑星シリーズは大好きなのですが、1つ不満があります。
ゴリラがいつも悪役なんですね。
これはスターウォーズシリーズの悪役がイギリス系俳優さんなのと同じでシリーズの伝統っぽいのですが、今回もゴリラが悪いんですよ。
ゴリラなんて、むしろ優しくて賢く、穏やかなイメージなんですが…
近年、ステレオタイプな配役についての議論も進んでいますし、次回作あたり、そろそろ正義のゴリラ軍団が出てきても良いのではと期待します。
この日記に使おうと思って、猿のフリー画像を探していたのですが、やっぱりオランウータンって可愛すぎますよね…
こうしている間にも、刻一刻と彼らの住処が無くなっていっているのだと思うと頭がどうにかなりそうです。
守ろう、森!
(Y)