こんにちは! とことこ湘南編集部のYです。
ものすごく面白い、現在公開中の映画を見てきました。「NOPE / ノープ」です。
~あらすじ(読まなくて構いません)~
南カリフォルニア、ロサンゼルス近郊。山々に囲まれた見渡す限りの平原のなかにぽつんと、ハリウッドの映画撮影に貸し出す馬を飼育するための馬牧場があった。
ここの跡取り息子である青年・OJ(主人公)は、オーナーである父が通常では考えられない異様な事故に遭ったことで若くして牧場を継ぐことになる。
しかし今度はOJの身にも、通常では考えられない異様な出来事が次々と襲い掛かるのであった――!
出来るだけ予備知識なしに見ていただきたく、公式HPの1.5倍濁したあらすじを書いてみましたが、本当に何も知らなければ知らないほどいいのではないかと思います。
↑空に浮かぶ雲の中から、カラフルなガーランドが垂れ下がっているように見える、このミステリアスなビジュアル。
これを全面に配したチラシをたまたま映画館のロビーで目にして「何コレ!?絶対に見よう!!」と思いました。
私が映画に求めるものは大きく2つに分けられて、1つは「優れた身体能力を持つ人たち(または見た目的に強そうな人)がとにかく戦いまくること」。殆どはそんな映画ばかり見ています。
ただ、それ以外で映画にあってほしいのは「現実を生きているだけでは絶対に見ることができない映像」や「予想が出来ず、どんどん思ってもみない話になっていく展開」で、NOPEはまさにこれがぎっしり詰まったような映画でした。
思えば以前私がこちらのスタッフブログで熱烈にお勧めしたのが「透明人間」であれもそんな要素がありましたね。
ですから公式ページや予告動画もできれば見ないで劇場に向かってほしいですし、「NOPE ネタバレ」なんて検索は絶対にお勧めできません。
「NOPE」はIMAXフィルムカメラで撮られたそうです。大画面での映像の迫力は言うまでもないのですが、本作に限っては、本当にIMAXで見るべき理由は「音」にあると思います。
これも詳しく言えないのですが作中で何とも異様で不思議な音が鳴り響くシーンがあるのですが、その反響の仕方、不気味さがIMAXだと物凄くて、これは劇場で見ないともったいないなと思いました。
監督のジョーダン・ピールさんは黒人のお父さんと白人のお母さんの間に生まれ、間もなくご両親が離婚したため、お父さんの記憶はほとんどないまま、お母さんに育てられたそうです。
外見上はお父さんの人種的特徴を色濃く受け継ぎつつも、発音やイントネーションはお母さんの影響があったため、学校でも白人のコミュニティ、黒人のコミュニティ、どちらにも上手く馴染めず(人種って何なんだろう?)という思いを持ちつつ育ったのだとか。
これまでの「ゲットアウト」「アス」といった作品にも、こうした監督の出自やアイデンティティから来る問いかけが含まれており、本作もまた、多重な読み取り方、楽しみ方ができるものになっています。
ですが全く説教臭いわけではないですし、何より娯楽作として面白すぎるので、個人的には、まずは(これはどんな意味で…)とメッセージばかり読み取ろうとせず、「どうなるんだろう?」とハラハラしながら見るだけでもいいと思います。色々な映画ライターや評論家の方々が書いている記事やパンフレットでも様々な解説が読めるので、あとからいくらでも補完できますから。そうしてから見返せば、また深い見方もいくらでもできるのでお得です(?)
全く触れないのはフェアじゃないので明言しますが、「怖い」かもしれません。これだけで見る人が減ってしまうかもな…と思いますが、全然怖くないと思って行ったのに怖かったら、楽しい経験をしたとは言えませんからね。
ただ、あくまで私はですが、ジメっとしたイヤな怖さよりも「ワクワクする怖さ」を感じました。私自身怖いのは得意ではないのですが、もしこの映画を人に勧められたら「怖かったけど教えてもらってよかった!」という感想になると思うので、思い切って紹介しました。
監督も、「あんな怖い映画、異常な世界なんてムリ!(NOPE)という人もいるかもしれないけど、そういう人たちへのいざないでもあるんだ」とパンフレットで語っていましたし、ぜひ思い切って飛び込んでほしいです。
ちなみに私が生涯で一番怖かった映画は「ヘレディタリー 継承」ですが、これを怖いのが苦手な方に勧めることはしませんし、自分でも二度と見返す勇気はありません。(これも面白かったんですけどね)
タイトルの「NOPE」(「No」のスラングで、否定の言葉)は他にも色々な意味を内包しているものだと思われますが、私は1つに見られることを拒否する「NOPE」もあるかなと思いました。
誰もがいつでも撮れる小型カメラといつでも見られるテレビを携帯しているも同然な現代、誰も「見る」「見られる」ことから無関係ではいられません。
例えば交通事故現場や水害に襲われた街など、ニュースで映像が流れる際「みんながカメラマン」などと表記されていたりして、あれば一般の方がSNS等で公開したものをメディアが借りて流しているのだとわかります。
その場に被害者がいたとしても、誰かは部外者としてカメラを向ける。あなたが被害の渦中にいて、どんなに撮られたくなかったとしても、やじ馬が集まってしまった限りは、すべてのカメラを下ろしてもらうことは難しいでしょう。
これだけSNSが盛んな事には、程度には個人差がありつつも、恐らく誰しもの心のうちに少なからずある「(良いように)見られたい」「注目されたい」という”承認欲求”が関係しているかと思われます。一方で、「(悪いように)見られなくない」「一方的に消費されたくない」という、人目を恐怖する感覚も、心中に同居しているでしょう。
見ることは誰もが無意識に、そして好奇心に駆られて行っていますが、行き過ぎれば暴力性を帯びていきます。
「ゾンビ」映画に、人間の飽食への批評という意味合いが含まれていたように、「NOPE」は「見ること」をあまりにも求めすぎていることへの、見られる側からのカウンタ―であるのかもしれません。
(Y)