名前が知られている方が亡くなられた際、ごく普通にメディアからの情報を享受する日常を送っている限り、それを耳にしないでいることは殆ど不可能です。
新聞やTV、近年はネットがあるためにより不意に、目に飛び込んでくるようになりました。
広く愛されている人、功績の多い人ほどそのニュースはどこを向いても報じ続けられ、これは個人の感じ方ですが私は結構それが辛い、と感じてしまいます。
情報の量、スピードについていけなくて、自分の悲しみを整理していく余裕を持てなくなるからだと思います。
何年か前、個人でTwitterをやっていましたが、私が好きなアクション映画界は俳優さんの高齢化が進んでおり、もしいつか、その時が来たときに「トレンド」で知ってしまったらショックで気絶してしまうと思い、アカウントを消した程です。
つい先日、千葉ちゃんが亡くなった衝撃も冷めやらぬ、未だ信じられない気持ちでいた中で、大好きな落語家の柳家小三治さんが亡くなられてしまいました。
個人的に何という年になってしまったんだ、2021年は、という思いです。
報道があったその日、家族と一緒に1年で最も楽しみな番組の一つ「オールスター後夜祭」を見てゲラゲラ笑っていたら、それこそネットニュースでそれを知った母から「小三治さん、亡くなったんだって!」と緊張した声で告げられました。我が家は一家で小三治さんのファンなため、馬鹿馬鹿しく賑やかなテレビの音を置き去りに、部屋が静まり返りました。
今年も一度、落語を聞きに行っていましたし、退院後の小三治さんは入院前よりお元気そうな様子でした。
また行きたいなとご予定をチェックしたら来年1月まで埋まった非常に精力的スケジュールにびっくりしたほどで、まだまだ何年も小三治さんの落語が聞けると信じており、とてもじゃないですがこんな急なお別れは未だに信じられそうにありません。
小三治さんと言えば長~いまくらもトレードマークですが、実際、演目より枕の方が長いんじゃないかというような時もありました。
写真もまくらだけを集めたCD集です。まくらだけのCDが出ている落語家さんはそう多くはないのではないでしょうか。
高座のたびに近況や若い頃の思い出、世の中に対して思っていることなど聞けて、人としての小三治さんが近くに感じられたからでしょうか。訃報が余計に寂しくなってしまいます。
私の場合、落語という娯楽そのものも好きですが、中でも「小三治さんの落語」がぶっちぎりで好きでした。
その凄みを論じるほどの目も耳も持っていませんが、私が特に魅力だと思うのは、小三治さんにしか出せない登場人物たちの「とぼけ感」です。
噺のボケ役がトンチンカンな事を言った際に、会話の受け側の人物が話し出す前の一拍の間、じっと相手の眼を見て「うーん……この人は……」と”やさしい呆れ”とでも言いましょうか、即座に否定はしないけどこりゃ困ったな…説明するにしたって先は長いな……とでも言いたげな目線、なんとも言えず、たまらなくおかしくなってしまいます。
夫婦が出てくる噺で夫が珍しくちょっと泣かせることを言ったような後の奥さんの「……あら」の一言が最高に可愛いやらおかしいやら。
落語って中々立派な人物や切れ者は出てこないんですが(泥棒は非常によく出てくる)、人の駄目な部分を「お互い様」と責めずに許す世界観で、20超えて自分を「アタイ」と呼び、何にも出来ず、まず名前からして「与太郎」なんて青年にも近所の人が「お前、俺んところで野菜売れ」と仕事をくれたり、皆優しいんですよね。
小三治さんの話し方で落語の世界の駄目なおかしさ、優しさがより引き立って、「いいなぁ、あの長屋で私も暮らしたいなあ」といつも感じていたものでした。
それでいて人情噺や「時そば」みたいなシンプルでどメジャーな話でもおかしくっておかしくって爆笑ものなんですよね。
いつからかほとんど毎年、藤沢市民会館の春の落語会に来てくださっていたことで、生で聴く機会を何度も持てたことはとても幸福な事だったと思います。
いつだったか数年前…と、ここで調べたら2017年でした。藤沢の落語会で「馬の田楽」という演目をやってくれたことがありました。
馬に味噌樽を担がせてお得意さんへ運搬していた、かなり訛った田舎の馬方さん。お届け先で馬を繋ぎ、店の主人を呼ばわったけれども何故か一向に奥から出てこない。
仕方なく玄関先で座って一休みしていたところ、炎天下に延々馬を引いてきた疲れでつい、こっくりと一度船を漕いだが最後、馬は子どものいたずらで逃げ出してしまった。
慌てて道すがら、出会う人出会う人に「オラの馬を見なかったか?」聞きながら馬を探す…
と、いったところで驚くべきことが起きました。なんと劇場のケツカッチンで、噺の途中にも拘らずさげのお囃子が始まり、強制終了となってしまったのです。
こんなことは小三治さん以外の落語も含め、後にも先にも一度もありません。劇場内も「どひゃ~!」という空気の中、小三治さんはちょっと笑いながら「すみません、続きは来年」と手を振って頭を下げ、幕の後ろに消えていきました。
私は翌年、本当にあの続きが聞けるような気がしていましたが、昨年来ていなかったお客様もいるなか、もちろん普通に別の演目をお話されていました。
馬を探す馬方はこの後、様々な人に馬の行方を聞くんですが、出てくる人出てくる人、まっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったく話にならないんですよ。(考えてみると落語の登場人物は大概話にならないんですが)
朝起きてから今、馬方に会うまでの今日の出来事をだらだらと喋った挙句、「…だから見てない」と結局何の役にも立たなかったり、耳が遠くて全然話が通じていないおばあさん、「馬知らないか?」「馬なら知ってる、ひづめがあってパカパカ走る…」と見当はずれの答えを返してくる奴がいたり…「くまのプーさん」でプーやティガーの話にならなさに翻弄されるウサギやコブタのような、一周して不条理にすら感じられる「話通じなワールド」に放り込まれるんですね。
「馬の田楽」は小三治さんの得意な噺なのだそうで、多分収録されているDVD等出ているんじゃないかと思いますが、生で聴いたらもうお腹痛い位面白かったと思うんですよね。
私はこういった馬鹿馬鹿しさに振り切った噺が大好きなので返す返すも残念です。
もうその機会は失われてしまいましたが、今後も再放送や振り返り番組などで小三治さんのお話が聞ける機会はあると思います。
これまで落語に触れてこなかった方は、ぜひ聞いてみてください。
(Y)