連日うだるような蒸し暑さが続きますが、いかがお過ごしですか?
amです。
7月7日は七夕。
今年は日曜日でした。
そんな七夕の朝。
長女は部活、次女は暇そう…
このままだと1日YouTubeとゲームで終わるのではないか…
絵を描きながらYouTube見て、器用ですね、最近の子は。
ということで、行くよ!平塚七夕!
【湘南ひらつか七夕まつり】
平塚は海軍火薬廠があったことから昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、中心市街地の約70%が焼け野原と化してしまいました。しかし復興は早く、「戦災復興五ヶ年計画」も一段落した昭和25年7月『復興まつり』が開催されました。そして、ちょうどこの時期が近隣農家の野上りの時期とも重なり非常に多くの人出を見ました。そこで、平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって昭和26年7月に仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。昭和27年と昭和28年には「平塚七夕音頭」「紅谷町音頭」「平塚恋しや」が発表され七夕まつりに色を添えました。そして、昭和32年の第7回七夕まつりからは平塚市の主催、平成23年の第61回七夕まつりからは主催者を市から実行委員会へ移し、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしており、今日では、日本を代表する七夕まつりに成長しています。
(湘南ひらつか七夕まつり公式サイトより引用)
そんな歴史と想いのもと、今年も無事に開催されたことに感謝です。
七夕まつりの思い出は、幼少の頃に父に連れていってもらい、普段は車で移動することが多かったけど、この時だけは電車に乗り、それだけで特別感がありました。飾りの記憶というよりも、屋台の食べ物と、市民プラザ向かいでぬいぐるみの当てくじをやったことが思い起こされますが…
そんな市民プラザ側からの入口。
父と同じように電車で行き、平塚駅の小田原寄りの改札、西口からおりて行くのが我が家のルール(?)
そして、混雑をできるだけ避けたいので、朝いちばんを狙い、10時少し前に到着。
以前は、南北の道路(プラザロード)を車両通行止めにして露店が並びましたが、今は見附台広場に並んでいます。
以前と比べたら数は少ないものの、ひととおり+α、お店の内容も網羅されております。
大人はともかく、子どもの興味は飾りよりもこちらでしょうかね。
花より団子。
このDNAはしっかりと受け継がれてしまいました。
しかし、これは何?
お店に「電球ソーダ」と大きく書いてあったので、それは分かりましたが、
飲み口が哺乳瓶…?
ストローのつもりで吸ったら飲めなかったようで、試行錯誤して赤ちゃんの記憶を呼び戻し、
なんとか飲めたみたいです。小学6年生。
メインの通りの七夕飾り。
緑の柵のあちらとこちらで一方通行になっています。
人が密集している所には屋台あり。
見附台広場以外にも空地などを利用して屋台がありましたが、道路上での屋台営業はできなくなったようです。
そんな湘南ひらつか七夕まつり。
暑さもあり、お昼には帰宅です。
今年は7月5日~7日の開催3日間、雨の心配もありませんでしたね。
無事に終わってよかったです!
(am)