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桜の季節にいざ鎌倉! ~「鎌倉殿の13人」ゆかりの地めぐり 第1回~

記事公開日:2022/04/01

この記事のテーマ:


「鎌倉殿の13人」ゆかりの地×桜の名所 in 鎌倉

桜の季節。町中のあちらこちらでも綺麗な桜が見られますが、神社仏閣を彩る桜もまた、趣が増して素敵ですよね。
鎌倉にももちろん、桜の名所が数多くあります。今回は「鎌倉殿の13人」ゆかりの地の中から、桜も一緒に楽しめるスポットをご紹介します!

 

目次

1.鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

源頼朝が現在の場所へ遷移。武家源氏、東国社会の精神的中心

【歴史Point】康平6(1063)年、河内源氏2代目棟梁・源頼義(みなもとのよりよし)が河内源氏の氏神である石清水八幡宮を勧請(かんじょう=離れた場所に神仏の分霊を祈り願うこと)し、鎌倉の由比郷鶴岡(現在の鎌倉駅東口側、材木座1丁目辺り)に「鶴岡若宮」(鶴岡八幡宮の前進)を創立したのがきっかけで、頼朝以前から鎌倉は源氏ゆかりの地となっていました。
平氏打倒のため挙兵をした頼朝は石橋山の戦いに大敗、房総半島に逃れた先で下総国の豪族・千葉常胤(※1)に「ここは大した要害(防御に向いた土地)でもなく、ご先祖のいた場所でもない。相模の国の鎌倉に行くべきです」と進言され、鎌倉に向かうことを決めたのだそうです。
頼朝は鶴岡若宮から現在の地に八幡神を遷したのが治承4(1180)年。以降は鶴岡八幡宮を中心に幕府の重要施設や海岸まで延びる若宮大路を整備。鶴岡八幡宮は東国社会の守護神として篤い崇敬を寄せられ、鎌倉幕府が滅んだ後も足利市、豊臣氏、徳川氏といった武士たちの信仰の対象とされました。

【桜Point】

鎌倉駅から鶴岡八幡宮へと延びる参道・通称「段蔓(だんかずら)」。左右を桜に囲まれ、さながら花のトンネル! 北条政子懐妊の折、安産祈願のため造営されたもので、工事は源頼朝自ら指揮し、北条時政・北条義時親子も土や石を運んだと伝わっているのだとか。

境内の「源平池」東側の「源氏池」周辺も見事。

住所 鎌倉市雪ノ下2-1-31
アクセス ・JR「鎌倉駅」東口から徒歩10分
・江ノ電「鎌倉駅」から徒歩10分
・横浜横須賀道路・朝比奈I.C.から5km
地図
開門・閉門時間 10~3月:6時~21時、4~9月:5時~21時
※各施設ごとの営業時間は下記URL参照
休み 施設による(下記URL参照)
TEL TEL0467-22-0315
URL https://www.hachimangu.or.jp/

 

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2.建長寺(けんちょうじ)

建長5(1253)年創建、日本最初の禅寺。鎌倉幕府の御家人・梶原景時の霊を慰霊

【歴史Point】鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(=ほうじょうときより。北条義時の長男の孫)が建立。建立から間もないある年の7月15日、寺で施餓鬼会(=せがきえ。生前の行いの報いとして餓鬼道に堕ち、飢えに苦しむ餓鬼を供養する法会)を行っていたところ武者が一騎やってきました。施餓鬼会が終わってしまったのを見た武者は残念がり、帰っていこうとしましたがその姿を見た禅僧・大覚禅師(蘭溪道隆)は武者を呼び止めさせ、もう一度施餓鬼会を行ってあげました。武者は自分は梶原景時(石橋山の戦いで頼朝を救ったことで重用された、十三人の合議制の一人)の霊であると言って感謝し、姿を消したそうです。
以降、建長寺では今日に至るまで毎年7月15日には「三門施餓鬼」の他、「梶原施餓鬼」を行っているのだそう。※コロナの影響により、近年は施餓鬼会の一般公開はしていません。2022年の予定は別途ご確認ください

【桜Point】

受付をくぐってすぐ桜並木が。桜越しに見えてくる「三門」(重要文化財)との取り合わせが美しく息をのみます。

裏手からハイキングコースまで延びる参道沿いの桜も綺麗。自然に囲まれ、鳥の声しか聞こえない別世界のような雰囲気が味わえます。

 

住所 鎌倉市山ノ内8
アクセス ・JR横須賀線「北鎌倉」駅よりバス5分(江ノ電バス「鎌倉駅」行き「建長寺」下車)または徒歩約15分
・JR横須賀線「鎌倉」駅よりバス10分(江ノ電バス 各種「大船方面」行き「建長寺」下車)または徒歩約30分
地図
開門・閉門時間 8時半~16時半
休み 施設による(下記URL参照)
拝観料 大人(高校生以上)500円、小人(小中学生)200円
※障害者手帳・療育手帳提示でご本人と付添1名無料
TEL TEL0467-22-0981
URL https://www.kenchoji.com/

 

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3.源氏山公園(げんじやまこうえん)

頼朝の先祖・源義家の伝説が残る山。今では人々が憩う花見の名所に

【歴史Point】【1】の鶴岡八幡宮の解説にも登場した頼朝の先祖・源頼義の長男源義家(通称:八幡太郎)が永保3(1083)年の「後三年の役」の際、山の上に先勝祈願をしたという伝説から源氏山、白旗山という名で呼ばれるようになったとか。頼朝の鎌倉入りから800年を数える昭和40(1965)年に記念事業として公園として整備され、中央には高さ2m程ある頼朝像が建てられました。裏手には鎌倉七口(陸路で鎌倉に入る入口)の一つ、化粧坂切通が通っています。

【桜Point】

取材日(2022.3.30)には桜満開の予報で、実際どこも満開だったのですがここだけはまだ蕾の木が多かったです。他より高いところだからでしょうか。逆に、ピークを過ぎたころにも楽しめるかも?
コロナ禍のため飲食はしないものの、レジャーシートを敷いて静かに桜を鑑賞されているグループがいくつか。

山肌に見える桜も違った趣が。化粧坂側から登ってきたので結構大変だったのですが、山の上なので風が非常にすがすがしく、苦労して登った先の頼朝公像はなんだか感動しました。

住所 扇ガ谷4-649-1
アクセス ・JR「鎌倉駅」東口から徒歩25分
・江ノ電「鎌倉駅」から徒歩25分
地図
TEL TEL0467-24-1342 または TEL0467-45-275(鎌倉中央公園)
URL http://kamakura-park.com/go/genjiyama_park/

 

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4.妙本寺(みょうほんじ)

日蓮宗最古の寺院。館を構えた比企一族が地名の由来にも

【歴史Point】日蓮聖人を開山に仰ぐ日蓮宗総本山。頼朝に仕えた御家人で、後に十三人の合議制の一人にもなる比企能員一族の屋敷跡でもあります。
比企能員は頼朝の乳母でもあった女性・比企尼(ひきのあま)の養子でもあったため一族は頼朝と親しい関係にあり、政子が頼朝の嫡男・万寿(源頼家)を懐妊した際には能員の屋敷にて出産をしています。
また、吾妻鏡の記述によると、頼朝と政子は比企尼から「館は木陰が涼しく、瓜園の瓜も食べごろになりましたよ」と誘われ、館に納涼に訪れたり、また別の機会には菊の花を楽しむ重陽の節句のため夫婦+三浦義澄ら御家人も連れて訪れ1日中宴会をしたということも。この場所は頼朝夫婦にとって心休まる、休息の地であったのかもしれません。
比企一族が滅びてしまった後の最後の生き残りとなった能員の末子、比企能本(ひきよしもと)が日蓮聖人と出会い、菩提を弔うため屋敷を献上したのが妙本寺の成り立ちなのだとか。境内には比企一族供養塔も残っています。

【桜Point】

桜に囲まれた日蓮聖人像がおごそかな気持ちにしてくれます。写真一枚目、祖師堂の左に移っているカイドウも、桜に次いで満開の時期を迎えるとか。

我らの地元・茅ヶ崎には比企一族で頼朝の乳母でもあった女性・比企尼(ひきのあま)の娘・丹後局(=たんごのつぼね。丹後内侍〈たんごのないし〉とも)の伝説が残っているのですが、彼女の屋敷跡が「桜屋敷」と呼ばれているんですよね。比企一族の屋敷にも桜があったかはわかりませんが、鎌倉を追われて茅ヶ崎に来たという丹後局が、桜を見ながら何を思ったかな…などと考え(妄想し)たりしました。

住所 鎌倉市大町1-15-1
アクセス ・JR「鎌倉駅」東口から徒歩8分
・江ノ電「鎌倉駅」から徒歩8分
地図
開門・閉門時間 常時拝観可
TEL TEL0467-22-0777
URL https://www.myohonji.or.jp/

 

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いかがでしょうか?行ってみたくなるところはありましたか?
どこもとても綺麗でそれぞれに楽しかったのですが、個人的に感動したのは「建長寺」です。建物がかなり大きくて渋格好よく、写真より肉眼で見た方が素晴らしさが感じられると思います!
皆様も歴史探訪、桜鑑賞を楽しんで、おすすめのスポットがあったら教えてくださいね! シーズン中の鎌倉は多くの人が訪れるので、コロナ対策もしっかりお気をつけて。

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