大正6年時代、現在のJR茅ケ崎駅北口、ヤマダデンキ茅ヶ崎店が建つエリアに存在したという、約12,000坪もの一大製糸工場「純水館茅ヶ崎製糸所(以下、純水館)」。
同跡地にこの度、その歴史を伝える記念碑(歴史掲示板)が設置される運びに。2022年12月14日(水)には現地で除幕式が行われた。
記念碑が立てられたのは、ヤマダデンキ茅ヶ崎店北側の芝生広場。
通りに面する表面(写真左)には純水館研究の第一人者・名取龍彦氏が手掛けた解説文を掲載。広場に向いた裏面には、純水館の大きな外観図の傍らに、福利厚生の一環として遠足に出かける従業員の記念写真が並ぶ。
大正時代の製糸工場と言えば、「女工哀史」「あゝ野麦峠」といった有名作品に於ける「病と隣り合わせの過酷な就労環境」のイメージもあるが、純水館は前述の遠足を始め、湘南の海の幸が並ぶ食事、産業医が詰める医務室を完備するなど、遠く長野から働きに来た女性たちを手厚い労働環境で迎え、人材育成を図った。
こうして生み出された生糸は良質で美しく、海外からも高い評価が集まるほどであったという。
当時の取材記事の見出しには「絲も造るが人間も造る」との一文が。同館館長・小山房全(こやまふさもち)の社会奉仕の精神が反映されていたとも考えられている。
日本が近代化の途にあった時代、町の発展に大いに寄与し、運動会や盆踊りが開催されるなど地域との交流の場でもあった「純水館」だが、現在の跡地にはかつての名残は何もなく、地元民にとっても“知る人ぞ知る”存在に。
茅ヶ崎市自体を“大きな博物館”と見立て、町の新たな側面とその魅力の再発見を目指す市民団体「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館友の会(通称:丸博友の会)」では、「地元の大切な歴史を、もっと多くの方に知ってもらいたい」との思いから「純水館講演会実行委員会」を発足。講演や写真展といった活動でその周知を行ってきた。
イベントに訪れた人々からは「そんな凄い施設があるなんて知らなかった!」といった驚きの声と共に「跡地に記念碑を」との要望も数多く届き、この声に背を押された同委員会は土地所有者であるヤマダホールディングスへと働きかけた。同社もまた「地域への貢献になれば」と敷地内への無償での設置を認可したという。
記念碑の製作費は写真展などで建設賛同委員証を発行して賛同者から浄財を募った。
除幕式当日には今日の記念碑設立まで惜しまず助力を尽くした関係者や協力者、支援者ら148名が一堂に集い、当時を知る貴重な証人でもある、房全の子孫にあたるご一族も参列した。
実行委員会の委員長・有村幸三氏の主催者挨拶に続き、佐藤光茅ヶ崎市長(写真左中央)、ヤマダホールディングスの前社長・桑野光正氏(写真右中央)、同市教育委員会教育長・竹内清氏、そして房全の孫である掛川國雄氏からも祝福のコメントが寄せられた。
実行委員会とヤマダホールディングスを繋ぐ架け橋となった人物の一人である桑野氏は10年以上前からの茅ヶ崎市民には懐かしい、同地がヤマダデンキになる前のディスカウントストア「ダイクマ」の店長だった経歴があり、「今回の件を耳にした時には、不思議な縁を感じた」(同氏)という談話も。
同地が新たな地域の宝物、観光スポット、市民憩いの場となることを願ってのテープカットが行われ、除幕式は無事締めくくられた。
多くの人の熱意と地元愛、先人への敬意から実現した同記念碑は、除幕式の後贈呈式に移り、実行委員長より市長に贈呈目録が渡り茅ヶ崎市に寄贈された(上写真)。
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