大正12年9月1日「関東大震災」発生時、茅ヶ崎の町は
大正12(1923)年、9月1日に「関東大震災」が発生。
マグニチュード7.9もの巨大なエネルギーは神奈川、東京を中心に広大な範囲を襲い、死者・行方不明者は10万人以上に上りました。
このことを忘れず、これからの学びと糧とするため、毎年9月1日は「防災の日」と制定されています。
茅ヶ崎市博物館では、同日よりパネル展示「写真とことばで知る 茅ヶ崎の関東大震災」を開催。初日に取材にお邪魔しました。 あの時、自分たちの町ではどんなことが起きていたのでしょうか?
「関東大震災」を当時の人々の「ことば」で紐解く
同展は元々、関東大震災発生より100年の節目となった昨年に開催されたもの。
展示を担当された学芸員・佐藤さんによると、「大きな節目を過ぎてしまったからこそ、今後も忘れず、振り返り続ける助けになれば」と、今年も開催を決めたのだそうです。
▲画像中央:吉田初三郎「關東震災全地域鳥瞰圖繪」国際日本文化研究センター所蔵
今回新たに展示の目玉となったのは、大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師・吉田初三郎が関東大震災を描いた「關東震災全地域鳥瞰圖繪(かんとう しんさいぜんちいき ちょうかんずえ)」。大正13年9月15日の大阪朝日新聞に付録として掲載された鳥瞰図で、西は静岡、東は茨木県の筑波山まで、震災の影響が及んだ関東とその周縁地域を、太平洋側から見渡す視点で描かれています。
一番目を引くのは図の右側に描かれている、東京を覆いつくすような大火災。揺れが丁度昼食の時間帯に起きたことで、火を使っていた家庭が多かったことが要因となったと言われています。
関東大震災と言えば、この火災の恐ろしさが思い浮かび、何となく「東京で起きた地震」というイメージを持つ方も多いのでは。
▲「關東震災全地域鳥瞰圖繪」一部拡大。波紋が広がる中央に「震源地」の文字。茅ヶ崎と平塚を繋ぐ橋が崩落しているのも確認できる
しかし、鳥瞰図をよくよく見てみると、神奈川県の南に広がる相模湾に「震源地」の文字が。むしろ茅ヶ崎の方が非常に震源に近かったのが見て取れます。
当時、茅ヶ崎の住民は農家が中心で、早朝から農作業をするため昼食は一般よりも早く、地震発生時の11時58分には既に食べ終えてお昼の休憩中。 火を使っていた家庭が少なかったために、大きな火災を免れたと考えられているのだそうです。
もう1つ上図から読み取れる被害として、相模川下流、平塚と茅ヶ崎の間に掛かる「馬入橋」が崩落しています。
鉄橋が見る影もないほどぐにゃぐにゃに崩壊しまった様子は、写真で見るとより恐ろしさが伝わってきます。
震災のリアルが記録された、貴重な”ことば”たち
絵図や写真も被害の規模を伝えるには効果的ですが、本展の主役は、“ことば”です。
鳥瞰図や写真等のパネルの周りに散りばめられた、当時の人たちの「証言=ことば」。茅ヶ崎市史や各地域の郷土史に残された、当時、実際に被災した人たちへの聞き取り調査の記録を集め、「予兆」「発生」「被害」「避難生活・復興」に色分けして展示されています。
■「ことば」一例(原文ママではなく要約です)
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「その日は朝から『小出川に大きな魚が沢山浮いている』との噂が立ち、耳にした村の若者や子供たちが魚獲りに行った。実際に大小さまざまな川魚が掻き寄せられる程に浮き上がっていたが、そこへ大地震が起きて―」(萩園)
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「子供が寝ていて敷居と梁の間に頭を挟まれて死んだ」(地域不明)
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「大雨で休漁になり、昼寝の最中にいきなり揺れ出し、母屋が倒れて足首に傷を負いながら危うく戸外に逃れた。(中略) 現在の平和学園の西側あたりで大きな地割れが起きていて、赤茶色の泥水が噴出して道路が川のようになった」(小和田)
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「物が全部壊れてしまい、下駄や箸を自分たちで作る所から始めた」(茅ヶ崎)
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「農家でない人は農家の人からおにぎりをもらった。近所の人が集まって、ある物を持ち寄って助け合った」(萩園)
1つひとつは短文ですが、その背後に何倍もの恐怖、不安、苦労があったことでしょう。
生々しい情景の記憶に、私たちが今住んでいる町の地名や川が出てくることで、よりひしひしと自分事のように思えてきます。
「萩園」の人が地割れに落ちて命からがら飛び出したこと。
「十間坂」から、東京の方の空が火事で夕焼けのように真っ赤に染まって見えたこと。
「十間坂」から、東京の方の空が火事で夕焼けのように真っ赤に染まって見えたこと。
茅ヶ崎では3,426戸の住宅のうち2,112戸が全壊、1,207戸が半壊し、死者156名、重傷者61名に及んだとの記録が残っています。 当時の人々の「ことば」からは、これらの数字以上に、切実な被災の現実が立ち現れてくるようです。
思い出すのも辛いであろう中、証言を残してくれた意味を考えると、「未来に生かして欲しい」と、私たちに託されたバトンであるように思えてなりません。
つい先月・8月には南海トラフ地震の想定震源域内である宮崎県・日向灘で地震が発生、気象庁から初の「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発令されたばかり。
「今年は関東大震災から101年。遠い過去の出来事に思えますが、いつ自分事になってもおかしくありません。かつて、地元の方々が実際に震災に遭われてどんな体験をし、どんなことを思ったか、言葉をもとに、具体的に想像してみるきっかけになればと思います」(佐藤さん)
展示の傍らには茅ヶ崎市の津波・液状化のハザードマップや防災リーフレットが並び、防災がテーマの絵本も貸し出し可。
101年前の人びとが伝えてくれたことを生かすためにも、今一度、お住まい周辺の危険度や避難経路、家族との取り決めなど、いざという時の備えを確認されてはいかがでしょうか。
【同時開催】
夏の特別展「海と音楽の近代史〜『湘南サウンド』前夜〜」
会期:2024年7月20日(土)~10月14日(月・祝)
場所:茅ヶ崎市博物館 企画展示室
★9月22日(日・祝)に学芸員によるギャラリートークあり
11時~/14時~ 各回30分
夏の特別展「海と音楽の近代史〜『湘南サウンド』前夜〜」
会期:2024年7月20日(土)~10月14日(月・祝)
場所:茅ヶ崎市博物館 企画展示室
★9月22日(日・祝)に学芸員によるギャラリートークあり
11時~/14時~ 各回30分